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Spring Has Come

Spring Has Come

出産まで~出生前診断など

出産予定日は11月13日。
こうして出産するその日まで、私は喜びと期待に満ち溢れた日々を送った。
・・・とはならなかった。
嬉しい反面、常に不安が付きまとって離れない日々だった。
最初は、妊娠が分かり、最初に胎のうがエコーに映った日のこと。
T先生はそれを見て「少し小さめだね」と言った。
「小さいってことは、問題があるということですか?」と訊ねずにはいられなかった。
先生は、若干小さいというだけでさして問題はない、ということをおっしゃったが、
私を大きな不安に陥れるには充分であった。
夫にも不安感を話してばかりで怒られ、喧嘩になった。
待望の妊娠がきっかけで夫婦喧嘩になるなんて、あってはならないことなのだが。

次の検診で胎児の心拍を確認し、私はようやくゆっくりと喜びをかみしめることが出来た。
しかし、それで心配の種が全くなくなったわけではなく、検診の度に元気かどうか不安で、
胎動を感じるようになるとそれはそれで、短時間でも静かだと不安になった。

妊娠17週ぐらいの時だっただろうか。
「母体血清によるスクリーニング検査」いわゆるダウン症の検査を勧められた。
ここの病院では、妊婦の年齢などのリスクあるなしに関わらず、
妊婦が拒否しない限りは基本的に全員が受けることになっている。
結果が陽性の場合は羊水検査に回すこと、そして「ダウン症」であることが分かった場合に
重い合併症などに対処できるよう、大きな病院に移ったり、小児科医立会いのもと
安全な出産に臨めるようにするため、というのが受けさせる理由であった。
手渡された小さなパンフレットには、「血液検査ですので手軽で安全です」
というようなことが書いてあった。

私は何の疑問も不安も持たず、スクリーニング検査を受けた。
次の検診で聞いた答えは、「陰性」。
「ダウン症の」確率を5段階で表し、私はど真ん中の値。
心配はないでしょう、とのことだった。
・・・ま、そうだろうな。
 うちはそういう家系じゃないし。
こう思って終わりだった。

この期に及んでも、「まさか自分が障害児を産むなんて」という驕りがあったのだ。
春歌のときに「まさか自分が死産するなんて」と思ったのと同じ過ちを繰り返していた。
また、ダウン症は遺伝性のものだという大きな勘違いもしていた。
そしてこの検査で分かるのはあくまでも“確率”であること、
ということは自分自身が何千分の一、何百分の一の“一”に入る可能性だってあること、
そもそも検査で分かる障害とは「ダウン症」に限らないのに、「ダウン症の検査」と称していることへの疑問。
さまざまなことを改めて考え直さないといけないのに、誰も助言をしてくれる人はいなかった。

この病院もT先生も、他の点では非常に尊敬しているし人間的にも好きなのだが、
出生前診断に対する姿勢に限って言えば疑問を感じざるを得ない。
こうした問題は、さまざまな医療機関で同じことが言えることと思う。
また、日本ダウン症協会や親の会でも世の中に投げかけている、永遠のテーマなのだ。

「また死産したらどうしよう」
そんな不安は常に付きまとい、それでいながら
「まさか障害児は生まれまい」
という矛盾しきった気持ちのもと、私は臨月を迎えた。

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